このアパートでは助からない?
子どもの頃、もっとも怖いものは地震であった。大学の同級生には、「東京に出てきてから、はじめて地震を経験した」という人もいたが、神奈川県で生まれ育った私は、震度四くらいならしょっちゅうだった。また私の小学校の頃は、大地震がそろそろ来るかも知れないと、さかんに言われていたのである。夕飯のときたまたまつけたニュースも、そのことを取り上げていた。解説者によれば、過去の大地震はほぼ五十年に一度の周期で起きている。関東大震災から五十年が経つ今は、いつ同じくらいの地震が襲ってもおかしくはない……。私はそれを文字どおり「今日明日にでも」という意味に受け止めた。そんな危険が迫っているというのに、悠然としている親たちの気が知れない。父親は相変わらず電車に乗って東京の会社へ通うし、母親は夕飯の献立にのみ頭を悩ませている。今こそ家族が団結し、どんなことがあってもけっして離れ離れにならないよう、固く協力し合うときではないのか。食糧を蓄え蟄居してその日を待つか、遠くの親戚を頼って疎開してもいいくらいの状況である。

地震恐怖症
グラッとくると、最初の一撃で「東海大地震」の五文字が、テレビで見たとおりの、黒い輪郭にひび割れた字で、まざまざと目に浮かんだ。授業中でも、ためらわず机の下に飛び込んだ。どつきんどつきん、体じゅう脈打つように、動倖が激しい。揺れは数秒ほどでおさまるのだが、私には一秒が一時間にも感じられた。当時住んでいたのは鎌倉で、海が恐怖を増幅させた。何でも、断層になっているところがここから遠くない伊豆の沖にあり、地震を引き起こすエネルギーが刻一刻と蓄積されつつあるという。津波の恐れもある。浜から五百メートルくらい入ったところに、八幡宮の一の鳥居があるのだが、関東大震災のときは津波がここまで達したと聞き、(へえーっ)とひっくり返りそうになった。夏は海沿いの道路をバスに乗って市営プールに行くのが常だったが、そのときも沖に舞うカモメを窓越しに見つめながら、(今もし地震が来たら、道路に沿って逃げてはいけない。必ず道路と垂直に、山に向かって逃げるんだ)と緊張して自分に言い聞かせていた。東京西部に住むようになってから、津波の心配はやや減ったものの、地震恐怖症は相変わらずだった。揺れがやんで、机の下から出てきても、胸のどきどきはおさまらず、痛いほどだ。(大地震が来たら、私は怪我よりも、心臓発作で死んでしまうかも知れない)と本気で思った。

美術館

岡山市

<介護福祉>